山田辰(Auto-Bi)さんの本社展示場に社員と行ってきました

ツナギ服メーカーの山田辰さん(Auto-Bi)に社員と行ってきました。

以前はみんなで展示会に行くことも多かったのですが、最近はメーカーの営業の人が
新商品の説明にサヌキまで来てくれるので、展示会に行くのは私一人というケースが増えました。

お客様から直接お問い合わせいただく営業部、刺繍加工などをする物流部ともに真剣に商品について聞いていました。

今日の一番の収穫は「一番涼しいツナギ服はどれ?」と聞いたところ、即答で勧められたのがau2300シリーズ

https://www.kobe-sanuki.co.jp/item/au2300.html

校倉造りで通気性が半端ないです。夏の暑い日の作業に。ただ、薄いぶん若干強度が弱いのでそれはご了承ください。

ちょっとわかりににくい写真ですが、au2300 ツナギ服に通気性のテストをしているところです。おすすめの一品です。

27年間現役で働いた冷蔵庫を買い換えました

27年間現役で働いた冷蔵庫を買い換えました。

事務所の1階の冷蔵庫がついに壊れ、買い換えることになりました。

元をたどれば、学生時代の1987年春に買ったものです。

学生時代のアパート、会社の独身寮、震災後避難生活をしていたサヌキの事務所と転々として、
最近は事務所の1階でひっそりとお茶やコーヒーを冷やし続けていましたが、さすがに寿命のようです。

27年間使ったことになります。四半世紀以上現役で働いてくれたことに感謝です。

1980年代の日本の家電は品質がとても良く、寿命も長かったですね。最近の家電のほうがすぐ壊れる印象があります。

一昨年まで使っていた学生時代の本棚、昨年枯れてしまった祖父の時代からの植木に続いて長年がんばってくれた冷蔵庫に感謝です。

1月17日 神戸にとって特別な日

あれから19年。1995年1月17日早朝、私は尼崎の会社の寮で強烈な揺れで叩きおこされた。

神戸が大変なことになっていると、最初車で移動を試みるも大渋滞で動かず。

寮に戻り先輩に自転車を借りて神戸まで2時間で帰る。
途中、電車の転覆、高架橋の崩壊、崩れかけたビルなど変わり果てたふるさと神戸に涙しながら、実家へ。

家族が呆然としながら会社に集まっていた。

全員生きていた。

実家は全壊、体調を崩していた父は入院しそのまま退院することなく5年後に他界。

最初の一週間家族と過ごして感じたのが実家の商材、作業服の素晴らしさ
当時勤めていた会社の作業服ですごしたとき、すごく機能的で着心地がよかった。
かなり迷ったが家業を継ぐことに。

決め手は祖母の「唯之頼む。帰ってきてくれ」の一言。
おばあちゃんっ子の私にとって祖母に頼まれたごとをしたのは、人生の中で結局その一回だけでした。

家族を守るヒーローのつもりが最初は商売の勝手がわからず大赤字。
逆に倒産の危機に陥ってしまう。自分の給料を考えられる最低まで下げるなどしてなんとか危機脱出。
時給で換算すると最低賃金を大きく下回っていた。この時期結婚したがよく生活できたと思う。

家業を継いで最初に感じたのが周りからの暖かい言葉と援助

例えば大学の同窓会を通して、全く知らない先輩方から義捐金をいただいたときは、本当に驚いたしうれしかった。

心残りは先輩方に直接感謝の気持ちを伝えることができなかったこと。

このたび大学の卒業25周年記念で経済的に困っている後輩のために寄付をすることになった。
当時先輩方からいただいた金額と同額を寄付。当時直接お礼を言えなかった気持ちが少しだけ楽になった。
このような素晴らしい企画をしてくれた同級生に感謝の気持ちでいっぱいです。

以上、個人的にな話で失礼いたしました。