あれから19年。1995年1月17日早朝、私は尼崎の会社の寮で強烈な揺れで叩きおこされた。
神戸が大変なことになっていると、最初車で移動を試みるも大渋滞で動かず。
寮に戻り先輩に自転車を借りて神戸まで2時間で帰る。
途中、電車の転覆、高架橋の崩壊、崩れかけたビルなど変わり果てたふるさと神戸に涙しながら、実家へ。
家族が呆然としながら会社に集まっていた。
全員生きていた。
実家は全壊、体調を崩していた父は入院しそのまま退院することなく5年後に他界。
最初の一週間家族と過ごして感じたのが実家の商材、作業服の素晴らしさ。
当時勤めていた会社の作業服ですごしたとき、すごく機能的で着心地がよかった。
かなり迷ったが家業を継ぐことに。
決め手は祖母の「唯之頼む。帰ってきてくれ」の一言。
おばあちゃんっ子の私にとって祖母に頼まれたごとをしたのは、人生の中で結局その一回だけでした。
家族を守るヒーローのつもりが最初は商売の勝手がわからず大赤字。
逆に倒産の危機に陥ってしまう。自分の給料を考えられる最低まで下げるなどしてなんとか危機脱出。
時給で換算すると最低賃金を大きく下回っていた。この時期結婚したがよく生活できたと思う。
家業を継いで最初に感じたのが周りからの暖かい言葉と援助。
例えば大学の同窓会を通して、全く知らない先輩方から義捐金をいただいたときは、本当に驚いたしうれしかった。
心残りは先輩方に直接感謝の気持ちを伝えることができなかったこと。
このたび大学の卒業25周年記念で経済的に困っている後輩のために寄付をすることになった。
当時先輩方からいただいた金額と同額を寄付。当時直接お礼を言えなかった気持ちが少しだけ楽になった。
このような素晴らしい企画をしてくれた同級生に感謝の気持ちでいっぱいです。
以上、個人的にな話で失礼いたしました。